【変換②】意味を決めるのは自分である
「光通信だけは、やめておいた方がいい。」
大学4年生の頃、就職課へ内定報告に行った時のことです。
指導の先生は、私にこう言いました。
「将棋の駒として使われて終わるぞ。」
営業会社として有名だった光通信を心配しての言葉だったのでしょう。
普通なら、その言葉を聞いて不安になります。
「そうか、やめた方がいいのかな。」
そう考える人が多いと思います。
でも、私は将棋が好きでした。
だから、その言葉を聞いた瞬間、頭の中で別の考えが浮かびました。
「駒になるんじゃなくて、指す側になればいいじゃん。」
その瞬間、不安は消えました。
そして私は、その場で先生にこう伝えました。
「だったら、光通信に行きます。」
結果として、私は光通信へ入社しました。
あの経験があったからこそ、営業の基礎も、人としての土台も学ぶことができました。
私は入社して本当に良かったと思っています。
同じ言葉でも、人生は変わる
この出来事で学んだことがあります。
人生を変えるのは、出来事ではありません。
出来事の「意味」です。
先生の言葉は変わりません。
「将棋の駒として使われる。」
でも、その意味をどう受け取るかは、自分で決められます。
「使われる人生」と受け取ることもできる。
「だったら指す側を目指そう」と受け取ることもできる。
同じ言葉なのに、選ぶ未来はまったく違います。
ボスガエルは意味を書き換える
ボスガエル理論では、この考え方を「変換」と呼んでいます。
変換とは、無理に前向きになることではありません。
他人が決めた意味を、そのまま受け入れないことです。
自分にとって前へ進める意味へと、自分自身で書き換えること。
だから私は、
「蛙の子は蛙」
という言葉も信じません。
「ダメな上司」
という環境も悲観しません。
「失敗」
という出来事も終わりだとは思いません。
意味を決めるのは、いつも自分だからです。
<今日の一歩>
今日、誰かに言われて引っかかった言葉はありませんか。
その言葉を、一度そのまま受け入れるのではなく、自分に問いかけてみてください。
「この言葉を、自分が前へ進める意味に変えるとしたら、どう解釈できるだろう。」
その問いが、新しい未来への一手になるかもしれません。



